野球7日間スラッガー育成プロジェクト

垣内哲也を知る(来歴)フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』より

1988年、プロ野球初の分校出身者選手として西武にドラフト3位で捕手として指名され入団。強打・俊足の持ち主で、「秋山二世」、「和製大砲」と呼ばれる。正捕手・伊東勤の存在で出場機会に恵まれなかったが、1990年にファームで頭角を現す。

1993年には1軍定着を果たし、1994年から強打を生かす為、外野手にコンバートされた。1996年に左翼手としてレギュラーに定着し、28本塁打を放つ。翌1997年には清原和博が巨人にFA移籍。その穴を埋める期待をされるも、スランプや右膝の故障で不振に終わる。

1999年大砲として期されたアーキー・シアンフロッコ、グレッグ・ブロッサーら助っ人陣の大誤算と鈴木健が不振に喘ぐ中、チーム最多の15本塁打を放ち復活。以後3年連続で二桁本塁打を記録し左打者偏重のチームの中、和田一浩が台頭するまでは、唯一の右の強打者として存在感を見せた。

2002年オフ、椎木匠とのトレードで長距離打者不足に苦しんでいたロッテに移籍。2005年にはプレーオフ最終戦でチームの劇的勝利=優勝の引き金を引くヒットを放つなど、出場機会は減ったものの指名打者や代打の切り札として西武時代以来の勝負強さを発揮した。

2006年には開幕一軍に名を連ねるも、4月には二軍落ち。10月2日ロッテより戦力外通告を受け、引退。3月26日のソフトバンク戦で三瀬幸司投手から放ったスリーランホームランが最後の安打・本塁打となった。2軍イースタンの最終戦では4番で先発出場、これが花道となった。

引退後は六本木のステーキ店「シルクロード」の店長として勤務。又、ロッテのネットライブ中継の解説を2007年より西武1軍守備走塁コーチ補佐に就任した原井和也の代わりにつとめることになった。

2007年からはプロ野球マスターズリーグの東京ドリームスに所属した。

2010年から中日ドラゴンズの打撃・外野守備走塁コーチを務めている。


垣内哲也・大塚光二の7日間スラッガー育成プロジェクトとは?

Yahoo!ブックマークに登録

メニュー

垣内哲也を知る

大塚光二を知る

サブメニュー

無料メールマガジン

私は本気であなたのお役に立ちたいと思っております。野球に関するお得な情報を不定期ではありますが配信させていただいております。(※垣内哲也・大塚光二本人によるメルマガではございません)登録・解除はいつでも可能なのでお気軽にどうぞ。
お名前:
email :